おやっとさです。たまにはブレイクタイムといことで私の体験談?でもいかがでしょうか。
我が家には現在3人の子どもがおり、毎日がまるでお祭りのような賑やかさです。広島という土地でドタバタと一歩ずつ家族の歴史を刻んでいます。
今回は、そんな慌ただしい日々の隙間にふと訪れた、少し不思議で、心がじんわりと温かくなった、ある日の出来事をお話しさせてください。
誰もいないベランダに向かって
平日の昼間、何気なく静かだったので子どもの様子を見に行くことから始まった出来事です。
ふと見ると、まだ生まれて間もない0歳の末っ子がベランダの窓辺に寝転び、外をじっと眺めています。
よく見ると、ただ眺めているだけではありません。何かを愛おしそうに見つめながら、 「あー、あ…」 「あー、あー」 と、一生懸命に言葉にならない言葉(喃語)で話しかけているのです。
もちろん、ベランダには誰もいません。風が通り抜けて、洗濯物が少し揺れているだけです。 大人の私から見れば、そこにあるのはいつもの見慣れたベランダの景色。ですが、我が家の小さな主人公の目には、全く違う世界が映っているようでした。あまりにも楽しそうに、そして真剣に語りかける姿を見ているうちに、私は思わず足を止め、優しい気持ちに包まれると同時に、ふと不思議な感覚にとらわれました。
「子どもって、大人が感じられなくなった『何か』を、確かに持っているんじゃないだろうか」と。
「ピュアな心」が見せる世界
よく、「赤ちゃんや小さな子どもには、大人が忘れてしまったスピリチュアルなものが見えている」なんて言われることがあります。壁に向かって笑っていたり、誰もいない空間に手を振ったり。
科学的に言えば、0歳の赤ちゃんの視力はまだ発達の途中で、光と影のコントラストや、風に揺れるカーテンの動きに反応しているだけなのかもしれません。 でも、私はそれだけではないような気がしてならないのです。
私たち大人は、経験を重ねるごとに「これはただの風」「これはただの影」と、頭の中で自動的に片付けてしまいがちです。けれど、先入観のないピュアな心を持った子どもたちにとっては、世界のすべてが「初めて出会う生き物」のようなもの。 もしかしたら、通り抜ける五月の爽やかな風や、差し込む木漏れ日そのものが、赤ちゃんにとっては「優しく話しかけてくれるお友達」なのかもしれません。
あるいは、本当に私たちには見えない、温かい何か(守護霊のような存在でしょうか)が、ベランダの向こうから声をかけてくれていて、それに一生懸命お返事をしているのかな……なんて想像すると、なんだか心がポカポカしてきます。
3人目にして気づけた、何気ない贅沢
1人目、2人目の時は、毎日が本当に必死でした。ミルクの時間、オムツ替え、泣き止まない夜……。次から次へと押し寄せるタスクをこなすだけで精一杯(ほぼ妻がこなして頂いておりましたが。汗)で、子どもが何もない空間を見つめていても、「あ、機嫌がいいな」くらいにしか思わなかったかもしれません。
3人目となった今、もちろん忙しさは増しましたが、心のどこかに少しだけ「余白」ができた気がします。だからこそ、0歳の我が子がベランダの風とおしゃべりしているような、何気ない、けれど映画のワンシーンのように美しい瞬間に気づくことができたのだと思います。
鹿児島には「チェスト!」と気張って前へ進む力強さがありますが、同時に、南国の風のような「ゆったりとした、おおらかな優しさ」もあります。広島という第二の故郷で育児をしながらも、ふとした瞬間に子どもが見せてくれるピュアな姿は、私の中に流れる鹿児島のおおらかな心を思い出させてくれるのです。
最後に。。。
子育ては、時に目まぐるしく、自分の時間なんてどこにもないように思えることもあります。けれど、子どもたちはこうして時折、大人が忘れてしまった「世界の美しさ」や「目に見えない温かさ」をそっと教えてくれます。
ベランダに向かっておしゃべりをしていた我が子も、あと数年もすれば言葉を覚え、「大人の世界」へと歩みを進めていきます。いつかは、この不思議なベランダのお友達のことも忘れてしまうのかもしれません。 だからこそ、このピュアな輝きを持っている今という瞬間を、しっかりとしがみつくように大切にしていきたい。そう強く思った出来事でした。
県人会の皆様の周りにも、小さなお子さんやお孫さんはいらっしゃいますか? もし彼らが誰もいない場所に向かって笑っていたら、ぜひ「何をお話ししているの?」と心の中で耳を傾けてみてください。きっと、私たちが忘れてしまった、とても優しくて素敵な世界がそこには広がっています。
久々にゆったりとした時間が作れたので何気ない私の日常書かせていただきました。ではでは。